「そんなこと」で悩んでいい

こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の杉野です。

旅行というのは、人生における楽しみの1つですよね。
私も旅行は好きですが、人と比べるとあまり遠くへ出かける機会はなく、いつもと違う道を通ったり、少し違う場所に行くだけで、旅行気分に感じるタイプです。

さて、今回は、「そんなこと」で悩んでいいというお話です。

悩む日々

「そんなことで悩まなくていいと言われる」
「そんなことで悩む自分はおかしい」

ただでさえ悩むことで苦しんでいるのに、悩むことを否定されたり、こんなことで悩むこと自体がおかしいという思いが浮かぶと、さらに、苦しい気持ちになってしまうものですよね。

また、ついつい、頭で、今、悩んでいることは、合理的かどうかというのを判断しがちです。

そのため、
「こんなことで悩むのは非合理だ」
「頭では無意味だとわかっているのに」

そう考える部分はあると思います。

だからこそ、自分が悩みに感じていることと、合理的に行動しなければと頭で考えることの差に苦しんでしまいます

悩むものは、悩むと素直に認めてみる

「周囲の人は、こんなことでつまづかない」
「自分だけがぐるぐると同じことを考えて、何も動けていない」

元気そうにしている周囲の人たちと比べ、悩んで立ち止まっている自分に目を移し、余計につらくなるもり、傷ついてしまうものです。

ただ、人は、人です。
そして、何をどう感じるのかは人それぞれです。
比べられるものではありません。

誰しもがつらい気持ちになりそうな出来事だったとしても、あまり気にならない場合もあれば、一見、つらい気持ちにはならなそうな出来事だったとしても、自分にとっては、とてもつらく、ずっと悩みに感じてしまうものもあります。

「こんなことで」
「そんなことで」
どうにもうまくいかないと、悩む自分を否定してしまいたくなりますが、

むしろ、
「つらいものは、つらい」
「悩むものは、悩む」

それを素直に認めることで、自分の感じたことに正直になることができ、少し、楽になると言えます。

理解されず、「自分」がおかしいと感じてしまう

「自分の悩んでいること、それが誰かに理解してもらえない」
そう感じるときに、余計につらさが出てくるものですよね。

ただでさえ苦しいのに、その思いが理解してもらえない。

その上、
「そんなことで悩むなんて」

もし、そのように言われたとしたら、ガックリときてしまいますよね。

そして、
「自分がおかしいのかな」

そんなふうに、「自分」を否定したくなるのも自然なことといえます。

ただ、周囲が理解を示さなかったからといって、それが、自分がおかしいということになるわけではありません。

理解されないのは自分がおかしいというのでなく、何らかの状況で、ただ相手が理解できなかった。
うまく伝わらなかった。
そもそも、相手が理解しようとしていない場面だった。

そういったように、理解されないショックはあるものの、それを自己否定につなげて、さらに苦しむのでなく、単なる事実として受け止めるというアプローチも大事と言えます。

「そんなこと」で悩んでいい

そもそも、人は、1人1人異なります。

誰かにとって、「そんなこと」であっても、その人と自分は異なります。
周囲の常識でいうと、「そんなこと」であっても、現在支持されている意見である常識と自分の物事の感じ方は異なります。

むしろ、「そんなこと」と思われるようなことで悩んでいるということは、自分ならではの物事の捉え方、感じ方ということを示しており、自己理解の助けともなります。

「どう感じるのが正解なのか、常識的なのか」
それを求めてしまうと、苦しくなります。

周囲の人でも、常識でもなく、自分がどう感じるのか。
「そんなこと」と思えることで悩むということを、自分を知るヒントとして積極的に扱ってみる。

自分がどういう人間なのか分かれば、自己理解が進みます。
自己理解ができれば、結果的に、悩むことは減るといえます。

つまり、悩むことを「そんなこと」だと思い、そこでさらに悩む必要はなく、「そんなこと」で悩んでいいと肯定し、素直に自分が感じていることを認めて、自己理解につなげる。

そうした心持ちが、楽な気持ちにつながる1つと言えます。

最後までお読みいただきありがとうございます!

『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠