こんにちは、札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野です。
家の物を片付けていると、昔使っていた物が出てきて、あの頃は、あれをがんばっていたんだ。
この頃は、こんなことを考えながら過ごしていたな。
そのように懐かしくなりました。
さて、今回は、「自分はすでに充分がんばっていると認める」というお話です。
つい、自分に、「もっと」を要求してしまう
「結果が出ず、がんばらなければならない」
「イメージ通り体調が回復せず、全然、思うように進まない」
「仕事のミスが多く、このままではいけない」
そんな風に思うと、すでに無理をしているのに、また無理を重ねる毎日となってしまいます。
たしかに、良くない結果に注目すると、
「うまくできていない」
「もっとがんばらないと」
そういう風に思ってしまうものです。
また、実際、
「イメージ通りがんばれていない」
そうすると、
「さらに、がんばらないと」
そういう風に、自分にムチを打ちがちです。
見えないがんばり、気が付きにくいがんばりが、すでにあると認める
たしかに、結果は芳しくないのかもしれません。
あるいは、努力が足りていないと、誰かから言われているのかもしれません。
ただ、実は、すでに、十分にがんばっている。
そうともいえます。
なぜなら、周囲に比べて、結果が出ず、意欲も追いつかない中、それでも自分を奮い立たせようとしているからです。
そして、その見えないがんばり、気が付きにくいがんばりを評価してくれる人は、自分自身です。
その自分自身が、
「もっとがんばらないと」
そう自分に声をかけてしまうと、自分はさらに、苦しくなります。
そのため、見えないがんばり、気が付きにくいがんばりがある。
「見えなくとも、気が付かなくとも、自分はがんばっている」
そのように、声掛けしてよいといえます。
他人は、他人自身のことで精一杯なのかもしれない
他人は、見えるもの、聞こえるものでしか、自分のことを判断はしないのが多いといえます。
数字が良ければ、がんばっていると判断する。
明るくハキハキした声が聞こえてきたら、がんばっていると判断する。
また、他人は、自分と関係がある限りでのみ、自分を判断することが多いといえます。
職場の上司は、仕事に対する評価のみをします。
パートナーは、パートナーとしての評価のみをします。
つまり、自分の見えないがんばり、気が付きにくいがんばりを周囲の人が、評価するということは、稀なのです。
他人も、その他人自身のことで精一杯で、自分の見えないがんばりを評価してくれるという場面はなかなかない。
そのような形で、厳しい評価ばかりが突きつけられると、自分はダメなのかと思いたくもなります。
そして、それに加えて、自分が自分に対して追い打ちをかけると、さらに苦しくなります。
むしろ、自分の、自分に対する役割は、自分の見えないがんばりを褒め続ける。
それを繰り返すことであるといえます。
すでに充分がんばっているという事実をただ認める
そもそも、がんばっているのは事実です。
うまくいかないならば、うまくいかないという苦しい中でも、つらい中でも、日々を過ごしている。
それだけで、すでに充分がんばっているといえます。
自分で、自分のがんばりを認め続けることで、自然と、自分らしさが戻ってきます。
たしかに、がんばっていると認めたからと言って、物事がうまくいったり、望む結果が得られるかどうかはわかりません。
そうはうまくいかないことも多いかと思います。
しかし、自分で自分を褒めることができる。
そして、自分らしくいられる。
それ自体、いくらかの結果を出すことよりも、価値あることといえるのではないでしょうか。
「がんばらないとと思って、苦しんでいる」
その時には、見えにくいがんばりを褒めてみる。
「何もできず、苦しい中、今日、1日を乗り切った」
それだけで、相当すごいことといえます。
そのように、見えにくいがんばりが、見えてくるようになる。
そうすると、自分はいつでも充分がんばっていた。
それに気づき、自分らしさを取り戻すきっかけになるといえます。
最後までお読みいただきありがとうございます!
『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠