「自分」という「他人」を優先させてみる

こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の杉野です。

この間、オルゴールのお店に行ってみると、いろんなオルゴールや曲があり、心躍りました。
その中で、手回しのオルゴールがあったのですが、自分のリズムで回しながら、オルゴールが流れていく様が楽しくて、とても気に入りました。

さて、今回は、『「自分」という「他人」を優先させてみる』というお話です。

自分の感情がわからない日々

「自分は何を感じているのか」
「自分は、何をしたいのか」

自分が何を感じていて、何をしたいのかわからないことはないでしょうか。

「苦しいことばかりで、自分の感情を抑えてきた」
「自分の感情を抑えすぎて、わからなくなってしまった」

自分を表現しようとしてもつらいことばかりだと、自分の感情を抑えるしかないと思いたくなるものですよね。

そして、それを続けているうちに、自分が何を感じているかわからないということも出てくるといえるかもしれません。

他人優先の毎日

「自分を表現して、嫌な目にあった」

そうすると、
「あの人の機嫌を取らなければ、自分は嫌われる」
「自分を出したら、自分は嫌われる」

そう思って、他人優先の毎日となるかもしれません。

たしかに、自分を守るために、自分ではない他人を優先させてくる。
それも、そのときは、必要だったのかもしれません。

そして、今も、必要な場面はあるといえるかもしれません。

一方で、それが必要ない場面まで、他人優先であると、
ますます自分がわからなくなり、つらく、苦しくなってしまう
といえます。

「自分」という「他人」を優先させてみる

そのため、自分を優先させる習慣が、心を楽に過ごすために大事だといえます。
そうはいっても、自分を優先させるという感覚はイメージが湧きづらい場合もあります。

「嫌われないために、他人をやっぱり優先させたい」
そんな思いも出てくるからです。

そこで、「自分」も「他人」であるという視点は大事だといえます。

「自分という名のこの人が楽しめることは何だろう?」
「自分という名のこの人がやりたいことは何だろう?」

そういうふうに、「自分」という「他人」に意識を向けてみる。

その人が求めているもの、楽しめることをやろうとしてみる。

それは、自分という他人の面倒を見れるのは、自分だからということもいえます。

そう考えてみると、
「自分だから、抑圧していい」
というよりは、

「自分というこの人の面倒を見れるのは、自分だけだから優先させないと」

そんな気持ちになっていき、

普段の生活で、自分の意思に意識を向けて、自分を優先させる時間が増えていくといえます。

もちろん、すぐに自分のことがわかるわけではないため、焦る必要もないといえます。

「少しだけ自分の楽しいと思えることがわかった」
そんな小さく見える発見が、大きな一歩であるといえます。

最後までお読みいただきありがとうございます!

『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠