こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野です。
あなたは、どうしようか、ずっと迷ったままのことはありますか。
私は、プロ野球を観るのが好きなのですが、いつでも野球中継を見れるように契約をしようかどうか、いつも悩んで、まだ検討中です。
もしかすると、どちらでもよいかなと思っているのかもしれません。
さて、今回は、「もう少し他人に頼ってもいいと考えてみる」というお話です。
迷惑をかけまいと苦しんでしまう
「人に迷惑をかけたくない」
「人に不快な思いをさせたくない」
そうした気持ちは、素晴らしいことだと思います。
一方で、その気持ちが強すぎるが上に、抱え込んでしまって、
「毎日が苦しい」
「生きづらい」
そういう場合もあるかもしれません。
たしかに、迷惑をかけたり、不快な思いをさせる。
それは、嫌であり、避けたいものの1つです。
また、
「何が相手にとって迷惑なのか」
それがわからないことが少なくないのも苦しいところです。
考えに考えた上で、慎重に行動したことが、相手に大きな迷惑を感じさせるものであったり。
反対に、これは迷惑だろうと思うことが、実は、何の迷惑でもなかったり。
そうすると、
「一体、どうすればよいのか」
そのように、さらに、悩んでしまいます。
そして、悩みが募り、疲れたり、苦しんだりしてしまいます。
自分で自分を追い込まぬように
他人に頼らず、自分で何でもできればよいですが、そうはいかないのも事実です。
何かをするときに、人に頼らなくてはならないこともあります。
そして、人に頼れば、ずっと楽なこともたくさんあります。
そうしたときに、
「頼るまい」
とすると、どんどん自分で自分を追い込んでしまうことにつながります。
たしかに、
「迷惑をかけて怒られる」
「頼ってみたら、不快な思いをあらわにされる」
そうしたことによる痛みがあるくらいなら、
「自分でなんとかした方がまだ、ましだ」
そう思うのも、自然だといえます。
事実、自分でできることは、自分でやるに越したことはないともいえます。
ただ、自分でできることにも、限界はあります。
限界を無視していると、自分で自分を追い込むことにもなってしまいます。
もう少し他人に頼ってもいい
「自分でなんとかしないといけない」
たしかに、そう感じるのも、自然なことと言えます。
ただ、他人に頼ることは、悪いことでもなければ、痛みばかりでもないともいえます。
むしろ、頼ることは、お互いが幸せに過ごすためのものともなりえます。
たとえば、誰かが自分を頼ってくれたとき、それは、嫌な出来事でしょうか。
もちろん、無理な頼みであったり、困らせるものであれば、嫌かもしれません。
ただ、頼られたときに、
「進んで自分ができることをしたい」
「人の役に立てて良かった」
そう思う場面も、少なからずあるのではないでしょうか。
そうであれば、頼られる側にとって、頼られること、助けることは、幸せの1つといえます。
そして、そんな中、自分や周囲の人に頼らずに、苦しんでいる人を見たら、
「もっと頼ってくれて、大丈夫なのに」
そう思うのではないでしょうか。
自分で自分を追い詰めている場合、もしかすると、それと同じことが起きているかもしれません。
周囲は、もっと頼ってくれていいと思っている。
それにもかかわらず、自分一人で苦しんでいる。
そうであれば、もう少し他人に頼ってみてもいい。
その方向で考えてみる方が、スムーズにいくのかもしれません。
できる範囲で、頼る
そうはいっても、いきなり他人にたくさん頼るのは、心に負担があるかもしれません。
頼ろうとすることにがんばりすぎて、心の負担が大きすぎると、本末転倒とも言えます。
そのため、頼ることがあまり苦にならないことから頼ってみる。
頼っても良さそうな人に頼ってみる。
お願いしても問題なさそうと感じることをお願いしてみる。
断られたとしたら、ショックは感じるかもしれません。
一方で、断るのは、相手が、その時、その頼み事には応じられないと教えてくれたいうことといえます。
それ以上でも以下でもないともいえます。
そうすると、自分が、
「迷惑をかけた」
と思って、わざわざ自分を否定する必要はないということもできます。
そのようにして、無理ない範囲で、もう少し他人に頼ろうと行動してみる。
そういう意識だけは持ってみる。
そうすると、自然と、抱えていたものが減り、楽になることにつながります。
また、助け合いや支え合いからくる人とのつながりが生まれることにもつながります。
そうして、日常に少し、彩りが生まれ、心も楽になっていくといえます。
「もう少し他人に頼ってもいい」
そう思い、無理ない範囲で行動していくことが、心を楽にしていく1つの方法といえます。
最後までお読みいただきありがとうございます!
『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠