こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の山内です。
道路もすっかり雪や氷で覆われ、ころばないように歩くのに少し気を張るここ札幌ですが、ほっこりして目尻が下がってしまうのが、買い物袋とお子さんをソリにのせて引いて帰る、雪国のお買いものスタイルを見かけた時です。
スノーウェアで着膨れしたモコモコの姿のちびっ子が、ちょこんとソリにお座りしているのって、なんとも可愛らしいんですよね。
さて、年も明けましたし、1回目の自己紹介ブログで勝手に予告していました、「コンプレックスとの闘いの記録」(大げさですね…)をそろそろ投稿すべく、本日は気合を入れてパソコンに向かっております。
皆さんは、コンプレックスってお持ちですか?
「いいえ、私は完璧なのでコンプレックスなどありません」という方に私は今までお会いしたことがないので、おそらく一つや二つ、あるいは数えきれないほど、コンプレックスあるよ、と言う方が多いのではないでしょうか。
私はといいますと、40代になった今でこそようやく、粗忽者(そこつもの)のくせに一丁前に頑張ってる自分を認めてあげられるようになりましたが、以前はそれはもう自分のことが好きになれずに悩んでおりました。
初めての挫折⁉︎
そうは言っても、私も幼少期から自分が嫌いなわけではなかったんです。
むしろ、家族や親戚の「めんこいねー」を必要以上に間に受けて、自分は相当かわいいんだと思っていた方です。
そうでもないことに気が付いたのは(笑)、小学生になって通い始めたダンスのクラス。
壁一面鏡張りの教室で同世代の女の子たちと並んでレッスンを受けていた時です。
否が応でもサイズ感や作りの違いが目に入ってくるので、「どうやら私は全体的に太めなようだ…」「隣の◯◯ちゃんはお顔も小さいしお目目もクリクリしているな…」「それに引き換え自分は…」と自分の外見について、この時はじめて「相対的評価」ができるようになりました。(笑)
そして、大きくなったら「マイケル・ジャクソンにみたいにおどれて南野ちゃんみたいに可愛いアイドル」になりたい、という夢を8歳にして諦め、人生最初の挫折(⁉︎)を静かに味わったことを今でもぼんやりと記憶しています。
とは言っても、当時はまだ「コンプレックス」と言う言葉も知らなかったはずですし、「1つの可能性が消えた」くらいでそこまでショックを受けてはいなかったように思います。
マイケルが無理ならとダンスをやめほかのスポーツを経験したのも楽しかったですし、アイドルは無理でも自分はそこそこ「めんこい」んだ、とまだ思えていました。
他人から植え付けられた“自己否定感”
そんな自分の外見がはっきりと「コンプレックス」と化したのは、思春期真っ只中の、中学生の頃です。
「山内は◯が◯◯くてウケる」という同級生の何気ない一言で、自分の外見が「みにくい」「恥ずかしい」物だと認識するようになったのです。
当時の写真を見ると、首をすくめて上目づかいの「私のことなんて撮らないでください…」と言いたげな表情でカメラにおさまる、居ごこち悪そうな中学生の私がいるので「人って自信をなくすとこんなに表情に出るのねぇ」と今は興味深く見返しているのですが、当時はそんな余裕はなく、毎日葛藤していました。
大人になったら、腰をやっちゃったとか、膝に水がたまったとか、親の老後問題とか、また違った切実な悩みが出てくるから見た目のことなどさほど気にならなくなる…なんて当時は知る由もないので、自分の外見が“劣っている”(のかもしれない)ことは一大事で、それはもう、毎日もやもや、いじいじ、しておりました。
元々の性格が目立ちたがりやなので、外見の特徴がバレないよう「なるべく目立たないように」過ごすことがさらにストレスになっていたんだと思います。
幸い、家族や、優しい友人らのおかげで学校へは何だかんだ楽しく行けていましたが、高校へ上がっても外見についてのコンプレックスは強くなるばかりでした。
モヤモヤした気持ちを紛らすために、アルバイト代でお菓子を買い込み、夜遅くに家族に隠れてむさぼるように食べる→太る→ますます自分がみにくく思える、と、どんどんネガティブなループにはまっていきました…(20代編へ続く)
私と同じように、「自分のことが好きになれなくて」というお悩みでカウンセリングを検討されている方も、少なくないのではないかと思います。
「自分のことをちゃんと好きになってあげたい」という、前向きな気持ちで一歩踏み出そうとされている皆さまの、お手伝いができれば幸せです。
山内の何がそんなに◯◯くて同級生にウケたのか、実物を見て、予想して楽しんでもらっても大丈夫ですよ(笑)!
『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』山内彩子