必要な分だけ、できればいい

こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の杉野です。

私は、大喜利を見たり聞いたりすることが好きで、たまに見たり聞いたりしています。
面白い回答を聞いたときは、
「どうやって思いついたのかな」
そういう興味も出てきたりして、楽しさも倍増な思いです。

さて、今回は、「必要な分だけ、できればいい」というお話です。

憔悴する日々

花と葉

「疲れ切ってしまった・・・」
「もう、いっぱいいっぱいでつらい・・・」

そんな思いになることはないでしょうか。

いつもいつも疲れ切っている、憔悴しているというのは、本当に苦しいものですよね。

疲れ切っているということは、あれもこれもとがんばりすぎているということでもあります。

もちろん、あれこれがんばること自体は、素晴らしいことといえますが、
そのために、何事も、必要以上に関わりすぎてしまって、憔悴しているという側面があるともいえます。

必要という基準

「あれもできなければならない」
「これも手に入れなければならない」

そのように、必要以上に何かを背負い込んでしまったり。

あるいは、他者との関わりで、

「どうにかしたい」
「誰とでも、関わらなければならない」

そのように思って、他人や他人の問題と必要以上に関わろうとすると、自ら、つらく、苦しいことを呼んでしまうということになります。

がんばりすぎていないか。
必要以上のこともしすぎていないか。

それを振り返ってみて、
「そういえば、何かなんでもがんばろうとしすぎていたな」
「必要のないことまで、ちゃんとしないとと思っていたな」

そういう場合は、必要以上にがんばりすぎていた部分を減らすことが、憔悴した日々から楽な日々へ移るために大事だといえます。

必要なだけで十分

ピアノの鍵盤

必要以上のことをして憔悴しているということは、

「必要な分だけやればそれで十分!」
そうした考えを持つことが大事だということになります。

必要な限りで、物事を行う。
必要な限りで、他人と関わる。

その心がけが、憔悴した日々から楽な日々への転換に役立つといえます。

必要な限りで良いと想像したときに、

「これだけでいいの?」
「やることはだいぶ減るな・・・」

そう思う場合、不安を感じるかもしれません。

ただ、必要な分だけなのであれば、それは十分と言えますし、それだけ、今までがんばりすぎていたともいえます。

また、
「必要な限りといっても、自分はどうだろう?」

そう思ったときには、
まずは、自分にとって、最低限、何が必要なのかを考えてみることが大事です。

片付けのように、
「これは必要、これは不要。」
そういう仕分けをすることが大事だといえます。

そうすると、
「ここは、余計なことをしていたな」
「相手に必要以上に関わろうとしていたな」

そういう部分が出てきたならば、そうしたやってきたことを少しずつ減らしていく。

それが楽に日々を過ごす上で大事だといえます。

最後までお読みいただきありがとうございます!

『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠