こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の杉野です。
本を読むのが好きですが、その中で、同じ本を繰り返し読むのも好きです。
その時々で、新たな発見や気づきがあったりして、自分自身の変化も感じられるところが面白いと感じています。
さて、今回は、「未来は分からないということを認める」というお話です。
将来への不安
「将来が不安だ」
「未来がどうなるのか」
ふと、将来や未来がどうなるのか、考えて不安になるものですよね。
そのため、
「こうすればずっと安泰」
「こうすれば大丈夫」
そういった安心や正解を求めたくなるものです。
ただ、そもそも、未来は分からないものです。
もちろん、だからといって、将来を気にしても仕方ないと言えるものでもないといえます。
一方で、むしろ、「未来は分からない」と認めてしまう。
その方が、楽に生きられる場合もあるといえます。
今を楽しむ
「将来を憂う。」
「未来の自分が安泰でいてほしい。」
それは、未来の自分の安心、安泰を願っているともいえます。
しかし、同時に、それは、今の自分の不安を高める行為ともいえます。
想像上の話ですが、たとえば、過去の自分が、今の自分が将来を心配している姿を見ると、どう思うでしょうか。
「今を楽しく生きてほしい」
そのように思うと言えるのではないでしょうか。
また、未来の自分が、今の自分が将来を心配している姿を見ると、どう思うでしょうか。
これもまた、
「今を楽しく生きてほしい」
そのように思うと言えるのではないでしょうか。
過去の自分、今の自分、未来の自分、それぞれが、互いを心配しあっているともいえます。
心配してくれるのは、嬉しいことですが、1番は、それぞれが、自分の生きているこの瞬間を楽しむ。
そうすれば、どの時点の自分も楽しく生きられるのではないでしょうか。
「未来は分からない」ということを認める
もちろん、そうはいっても、不安や心配になるともいえますし、将来への必要な備えは、大事だといえます。
そのため、常に今に集中して生きる必要はないともいえます。
ただ、不安でいっぱいで、なんとかしたい。
そんなときは、あえて、「未来は分からない」ということを認めるというのも1つの有効なアプローチともいえます。
分からない未来をなんとかしようとすると、無理をしたり、やることが増えたりします。
さらに、結局、なんとかできるものでなかったのであれば、徒労ばかりが残ります。
その点、「未来は分からない」ということを認めることで、必要以上に、今を犠牲にしたり、思い通りにならないものを何とか思い通りにしようと、必要以上に無理をする必要がなくなります。
そうすると、自然と、楽でいられる時間が増えます。
そして、今を楽に生きられるような態度を獲得することは、すなわち、未来においても、楽に生きられるような態度でいられることをも意味します。
つまり、「未来は分からない」ということを認め、無理をせず、今を犠牲にせず、楽に生きることで、結果として、未来においても、同じように、楽に生きられるようになるといえるということになります。
最後までお読みいただきありがとうございます!
『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠