“やらない”と“出来ない”の大きな違い〜心理カウンセリング視点で考える日常〜

こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の岡本です。

仕事や学校、プライベートでの生活の中で何かを「やろう」と思った時や「やってほしい」と頼まれた時…あなたは無意識に「出来ない」という言葉を使うことはありませんか?

私は20代の頃は無意識に「出来ない」と言ってしまうことがよくありました(笑)

今思えば、それで損をすることも少なくなかったように感じます…(汗)

今回のブログでは、この「出来ない」という表現について心理カウンセリング視点で掘り下げしてみようと思います。

今回ご紹介させていただく考え方は、価値観の押し付けを目的としたものではなく、ブログを読んでいただいた方ご自身に「あれ?もしかしたら自分にも当てはまるかも?」という気づきや「だからあの時、上手くいかなかったのか」などという振り返りのヒントにしていただけると嬉しいです。

出来ないと落ち込む女性

◆「出来ない」その発言をするとき心の中では…

冒頭で書かせていただいた通り、日常生活のなかで何かを依頼されたときなどに「出来ない」と感じたり、実際に「出来ません」と発言することは少なくないかもしれません。

では、この「出来ない」と感じている心のなかでは、どのような気持ちが生まれているのでしょうか。

例えば…様々な条件や自分自身の実力などを客観的に考えて「現実的に無理」だと分析している人もいるかもしれません。

他には「なんでこんな依頼をするんだ」と怒りに近い感情や依頼してきた相手に対する怒りの感情が生まれる人もいるかもしれません。

これらの考え方に対して「その考え方はダメですよ」というような否定的なコメントを書くつもりはありませんので、ご安心くださいね。

「出来ない」と感じる場合には、その人なりの「出来ない理由」「出来ないと感じる根拠」が頭のなかに浮かんでいるのだと思います。

これは自然な状態であり、「出来ません」と発言をしても大きな問題が起こらない場面であればそれでOKなのかもしれませんね。

…と、それで終わってしまうと今回のブログの内容が空っぽになってしまうので(笑)もう少し掘り下げていこうと思います。

出来ないことの根拠-光っていない電球

◆「出来ない」の根拠になりやすいもの

人は幼い頃には「出来ない」と考えることは少ないと言われています。

例えば、赤ちゃんが「出来ない」と考える頻度が高かったとしたら、バランスがとりやすい「4足歩行(はいはい)」をやめて転びやすい「2足歩行」を身につけるようなことは奇跡に近い状態かもしれません。

「出来ないかも」などと考えずに「周りの人(大人たち)がやっているのだから自分にも出来るはずだ」と考えるからこそ、「マネ」をすることで少しずつ色々なことを身につけていくのではないでしょうか。

そんな「ポジティブの塊」のような生まれたばかりの子供たちが「出来ない」と感じるように変化していくのは、何故なのでしょうか?

これは、過去の体験のなかで「苦痛」を伴うものがあり、その「苦痛」を避けようという本能がはたらくからこそと考えることができます。

「失敗体験」から作られる「価値観」こそが「出来ない」と思わせる原因であり、誰もが無意識に自分の身を守るために働かせている防衛本能(生存本能)なのです。

もちろん、この本能が働かなければ人間はあっという間に死んでしまうかもしれません。

ビルの屋上から「飛べる!絶対に出来る!」などと思って飛び降りてしまったら大変なことになりますよね…。

本当に危険なことを避けるためにも「出来ない」と思うこと自体は「悪」ではないのです。

その一方で、本人が望む未来を遠ざけてしまう可能性も「出来ない」という思考には含まれています。

計算間違い-出来ないことのイメージ

「出来ない」と表現してしまうことの弊害

「出来ない」という表現は、一般論で考えるとそこまで「悪い表現」ではないのかもしれません。

前述の通り、「命を守るため」には「出来ないこと」を知っていることは非常に大切なのです。

その一方で、「コーチング」系のセミナーへ参加したことがある方は、「出来ない」のではなく「やらない」が正しい表現なのではないか。とトレーナーから問いかけられたこともあるのではないでしょうか?

この問い掛けは、「自責」と「他責」の区別を変化させるためにも活用されるものですが…

「出来ない」の場合は、何か外的要因もあって「出来ない」
やろうと思っているけれど、「出来ない」という意味合いが含まれる表現と言えます。
これは「他責」の要素が多いと考えることができますね。

それに対して「やらない」は、本人の意思として「やらないこと」を決めている。
つまりは、「実行しないこと」の責任が本人にある。という意味合いが含まれる表現です。
こちらは「自責」の要素が多い表現なのです。

心理カウンセリングとしてのアプローチ方法だと「“出来ない”と感じることは仕方のないことかもしれませんね」という共感的かつ肯定的な立場から少しずつ心の回復を目指していくことになります。

それに対してコーチングのアプローチの場合は「心の回復は終わっている」という前提のため、「あなたが出来ないと言っているのは、本当はやらないだけだ」という厳しい立場で変化や成長を促進させるような流れになることが多いと感じます。

※「コーチング」は、考え方や振る舞い方、自分自身の在り方をより良い方向へ導くサポートする分野です。
『カウンセリングこころの羽』でも気持ちの落ち込みやお悩みが解決に向かっていった方にコーチング的なアプローチを行うことがありますが、「カウンセリング」の“心に寄り添う”というスタイルとは少し異なる手法を使うことが特徴の一つになります。

『カウンセリングこころの羽』で普段、提供させていただいている心理カウンセリング(お悩み相談プランなど)では、厳しめなコーチングアプローチは基本的に使用しておりませんので安心してくださいね。

もちろん、本人が希望される場合には、担当カウンセラーによっては対応可能ですので、必要に応じてご相談くださいね。

話が少し脱線してしまいましたが…

実は、心理カウンセリングの視点でも「出来ない」という言葉での表現を使い続けることによる弊害があると考えることができます。

それは…「出来ない」という表現を続けることにより、その方の脳内で「自分は“出来ない”人なのだ」というイメージが定着しやすくなります。

そうすると心理カウンセリングでも重視することの多い「自己肯定感」が低下しやすくなるのです。

例えば「私は出来ない」「私は出来ない」「私は出来ない」と繰り返し想像すると、なんだか気持ちが落ち込んできそうですよね(汗)

逆に「私は出来る」「私は出来る」「私は出来る」と繰り返し想像すると、なんだかやる気が湧いてくる方もいるかもしれません。

私自身の場合は、20代の頃、この「私は出来る」というセルフイメージの向上をコーチングの分野から取り入れようとして逆に周囲の信頼を壊してしまった経験を持っていますが(笑)

それは、行動を伴わずに「私は出来る」と信じることだけを頑張ってしまったからこそ発生した状況でした(汗)

この自己肯定感の低下が進んでいくと、どんどん「自分をコントロールすること」が下手になっていきます。

これは当たり前の状況ですよね?
自分で自分に対して「お前は出来ないんだ」と言い聞かせているので、実力を発揮できないことが増えてきます。

そうすると周囲の評価が実際には高くても、結果として「出来ない」状態になる。

人間は本来、自分の気持ちに嘘をつき続けることは苦手な脳の仕組みを持っているので、「出来ない」と発言することで「本当に出来ない状態」を作って安心するようになっていくのです。

実際には「やらない」と無意識に決めているだけなのかもしれないのに「本当に出来ない」という結果が出やすくなるんですね。

ちょっと想像しただけでも恐ろしい状態です(汗)

そして、実際に20代の頃の私は根拠のない「出来る」と自身を持っている状態と「出来ない」と思って落ち込む状態を交互に繰り返していたので、今振り返ってみると非常に苦しい毎日を過ごしていました…。

当時は、心療内科などに通院するという発想がなかったので何とも言えませんが、今になって振り返ってみると当時の自分は『双極性障害』と呼ばれる状態に近かったのかもしれません。

このように自分で自分をコントロールできない状態に陥るリスクがあるのであれば「出来ない」のではなく「やらない」のだと気持ちを切り替えて、ある意味では開き直っておいた方が後々の成長にはつながるのかもしれませんね。

あなたも知らず知らずのうちに「出来ない」と思い込むことで「自己肯定感」を下げていませんか?

「出来なかった」のではなく「やらなかったのだ」と違った視点から振り返ることで少しずつ自分自身のコントロールを取り戻す“きっかけ”が見つかるかもしれません。

『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』岡本教兵