当たり前のことができないのが、当たり前

こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の杉野です。

あなたは、流行に敏感なタイプですか。
私は、どちらかというと、流行りが終わった頃に、その良さを知ることが多いので、疎いといえるかもしれません。
それぞれの自分のタイミングで、その良さを知るのも、良いことだよなとも思っています。

さて、今回は、「当たり前のことができないのが、当たり前」というお話です。

「当たり前なのに」が、苛立ちや焦りを呼ぶ

夕陽の下の大きな木

「なんであの人は、いつもああなんだ」
「なんで自分はできないんだろう」
そういうふうに感じると、苛立ちや焦りを感じてしまうものですよね。

そして、気づいたら、いつもいつも同じようなことで、苛立ちを感じている。
焦りを感じている。

「あの人が、変わってくれれば」
「自分が、もう少し頑張れる人であれば」
そんな風に、相手が変わってくれることを待つ。

自分がいつか変わることを待つ。
ただ、変わるはずもなく、同じことでぐるぐると悩んでしまう

「相手が当然すべきことをできていない」
「自分が、当然やらなくてはいけないことをできていない」

そう感じると、
「こんな当たり前のこと、できてない方が悪い」
当たり前さえできないなんて、自分はおかしい」

そう思って、苛立ちや焦り、失望を感じるのも、たしかに、自然なことです。

人間、1人1人異なる

ただ、そうした当たり前のことでさえ、できない。
それもまた、人間であり、自然なことといえます。

人間は、万能ではないどころか、大したことはできないともいえます。
もちろん、あっと驚くことができるのも人間ではあります。

「この人は、なんでもできる」
そう見える人も、その人ができるところ、できているところのみを自分がたまたま見ているに過ぎないともいえます。

「この人があれだけできるから、相手もできていないとおかしい」
「あの人があれだけできるから、自分もできていないとおかしい」

そんな風に、人と比べたくなるものですが、相手や自分ができないのがおかしいとは言い切れないともいえます。

それは、1人1人、特性も能力もすべて異なるからです。

たしかに、全く同じ人間であれば、できて当たり前はあるのかもしれません。
ただ、人は、1人1人違うので、やはり、当たり前とは、一概にいえないといえます。

当たり前と思い、それができないと、

「できない相手がおかしい」
「できない自分がおかしい」
と思って、責める心を持ちがちです。

そうすると、苛立ちや焦りで苦しんでしまいます。

そのため、そもそも人は1人1人違う。
当たり前を、当たり前とは言い切れない。

そう思うことで、少し心が落ち着けるといえます。

当たり前のことができないのが、当たり前

青空の下の花のガーデン

当たり前とされていることは、実は、当たり前でないことは多いです。

いわば、
「できなくて当然」
「間違えて当然」
であるといえます。

そして、
「当たり前のことだから」
「他の人ができるから」

そうした理由で、できない相手やできない自分を責める。
責めたところでできないから、また同じように苛立ちや焦りを感じる。
その繰り返しだといえます。

それは、言い換えると、当たり前というのは、できていないとおかしい。
人間、当たり前のことは、当たり前にやるべきだ。
そうした思いが強いから、そう感じるともいえます。

そこで、当たり前のことすらできないということ自体、当たり前。
そのように認識を修正することで、現実に見合った物の見方ができます

つまり、当たり前にやるべきという常識ではなく、今ある現実に見合った物の見方を持つ。
そうすると、自然と苛立ちや焦りも減っていくといえます。

最後までお読みいただきありがとうございます!

『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠