「世界」の認識を修正することで、楽に過ごす

こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の杉野です。

突然ですが、祭りというのは、いろんなものがありますよね。
祭りといえば、縁日でのお祭りを思い出すのですが、子どもの頃、屋台でスマートボールをやるのを楽しみにしていた覚えがあります。

さて、今回は、『「世界」の認識を修正することで、楽に過ごす』というお話です。

自己否定の日々

小さな木の家

「自分がダメだからだ・・・」
「自分はダメだな・・・」

そういうふうに、ついつい自己否定してしまうということはないでしょうか。

「自分なんて・・・」
「自分が嫌だ・・・」

そう思っていると、なんだか、つらく、苦しくなるものですよね。

「世界」の中の「自分」

「自分」という存在が、「世界」の中で、意味がないもの、いてはいけないもの。

そんなふうに思うと、自己否定が頻繁であるということになります。

「自分は、ここにいてはいけない」
「自分は、劣っている」

そう思わせられるような「世界」を見ているともいえます。

たとえば、他人のSNSを見て落ち込むのは、キラキラしたものばかりみて、それが、この「世界」であると思い、自分は、何もしていないから、この「世界」では、劣っている、場違いと思うからともいえます。

冷静に考えると、見る人に喜んでもらうためなどそれぞれの人のそれそれの目的で、キラキラした部分をたくさん載せているということで、決して「世界」自体がキラキラしたものばかりではないといえます。

ただ、そうとはわかっていても、画面を通して、キラキラした他人ばかりを見ていると、それがこの「世界」かのように思ってしまいます。

そうすると、自己否定の一因として、実は、この「世界」の認識をすごいものにしすぎているからといえます。

「世界」の認識を修正する

つまり、「世界」の認識を修正することで、
「今の自分のままでも良いじゃん」

そんな形で、自己否定を減らすことにつながるといえます。

「これが、豊かさだ」
「これが、人生で必要だ」
「これが、人生の醍醐味だ」

そんな形で、触れるものや情報により、この「世界」を作っているといえます。

「世界」の認識を修正するには、日頃、どんなものに触れているのかを考えることが大切です。

あまりにキラキラしたものに触れていると、
「自分もそうでなくてはいけない」

そう思い、自己否定してしまいがちです。

たとえば、
「もっと、すごい人の話ではなく、身近な自然に着目しよう」
「もっと、キラキラと無縁な楽しめるものに目を向けよう」

そうすることで、「世界」の認識の修正を図ることができます。

そうすると、
「あ、全然、自分、この世界にいて良いじゃん」
「この世界、居心地良いぞ」

そんなふうに思えて、自己否定をする必要がなくなります。

もちろん、
「自分はキラキラした人生を送りたい!」

そう心から前向きに思って、行動に繋げているならば、それはそれで良いといえますし、素晴らしいことともいえます。

一方で、
「キラキラしたいわけでないけど、いつの間にか自己否定してる・・・」

そんなときは、日頃、接しているものから創られた「世界」の認識が自分に合っていない可能性があります。

そのため、
「あ、日頃接しているものから、偏ったものを受け取っていたな」

そう思うことで、世界の認識を修正して、自己否定を減らす。

それにより、心を楽に過ごすことにつながるといえます。

最後までお読みいただきありがとうございます!

『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠