こんにちは。札幌市の中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の岩本です。
その時の経験を踏まえて、家族・学校からのサポートと当時の気持ち等を書いていきたいと思います。
以前私は高校3年生の夏に学校に行くことが出来なくなり、不登校状態が続きました。
順調に過ごしていた高校生生活
高校に入学し、友達も出来て、バイトもしながら楽しい日々を送っていました。
月日は経ち、高校3年生の春。
進路希望は真っ白の状態で何度も担任に呼ばれる日々(笑)
事件が起きたのは6月。そして急なことでした。
友達6人グループの一員であった私。
その中でも特に仲の良かった友達一人から、いじめを受けるようになりました。
私が話し始めると途端にシーンとなり、無視されました。
休み時間から始まり、遂には授業中も同様な状況に…。
そんな中で私が居場所を感じられた場所は、バイトの時だけでした。
その時だけは人の役に立っている気持ちが満たされ、生きていても良いと思えました。
学校では自分は居ない、むしろ存在すらない、今後の夢も希望もない…
そうして私は学校に行かなくなりました。
日々バイトに行く、深夜まで好きなことをして、昼まで寝てバイトという生活を1ヵ月程続けました。
家族と学校のサポート
家族は学校に行くことを強要せずに、一度環境を変えて、また一からスタートすることも視野に入れてくれていました。
自宅で好きなことをしてても、母は見守っていてくれました。
そのことがあったからこそ、私は安心して自宅では過ごすことが出来ました
担任とは何度も話し合いを重ねました。
生徒とちゃんと向き合ってくれる担任でした。
最初は反抗的な態度も多々とりましたが、今では先生が担任だったからこそ、自分はこの不登校の状況を乗り越えられた気がします。
そんな環境により、私は追い詰められている気持ちもなく、自分と少しずつ向き合うことが出来ました。
夢がないと話していた私でしたが、担任には“医療系の仕事が向いている”と不登校になる前から言われていました。
ですが、そのためには必ず推薦をしてもらわなければいけない。
すでに単位が不足している状況を打破し、推薦をもらえるように…と思い何度も学校に行こうとするも、涙が出たり、胸が苦しくなることもありました。
一番辛い時は暗い部屋でずっとぼーっとして何もやる気が起きないことも。
そんな中で母と担任に“転校は出来ない。受け入れ先がない。”と言われました。
通信制に行こうかとも思いましたが、私の頭に真っ先に浮かんだことは“母に対する申し訳ない”気持ちと“医療系の学校に行ってたくさんの人の笑顔を取り戻したい”気持ちでした。
担任に気持ちを伝え、専門学校と大学を探してくれました。
実際に私が卒業した専門は担任が一番勧めてくれた学校でした。
学校にまた登校するようになってから、教室では孤独との戦いでした。
辛い思いもたくさんしましたが、それよりもここまで私のことを考えてくれた母、父、担任のために、何とか単位を回復させ、卒業することが出来ました。
学校に行けない気持ちの背景
私の経験と共に重要なポイントをお話しさせて頂きます。
これは自己実現理論というもので現すことが出来ます。
学校に行けない=学校が自分にとって安心できる・安全な場所ではないというように関連付けることが出来ます。
私は学校に行くことが出来ない理由としていじめがありました。
友達にまた無視されるかもしれない→自分は何のために居るんだろう→辛い
学校に自分の居場所もなく、安心できる場所でもありませんでした。
カウンセリングでは学校に行けない理由を探りながら、学校という場所のイメージを少しずつ変化させていくことを心理療法等を使用してアプローチしていきます。
そしてもう一つ重要な部分。
それは自宅が安心できる場所であるか…。
安心できる場所であるかいないかで、欲求の満たされ方がかなり違います。
私が不登校を乗り越えることが出来た理由に、学校以外の安心できる場所が他にあったことが挙げられます。
自宅では両親に学校について安心できるような声掛けをして貰えたこと、そしてバイト先では後輩や社員さんに頼られていたことで、安心・安全欲求、帰属の欲求が満たされていました。
学校に行けない理由は個人によって違い様々であると思います。
“理由が分からない”と困っているご両親、“どうしたらいいか分からない”というお子様自身…一緒に解決方法を『カウンセリングこころの羽』で探させてくれませんか?
私の経験談もお話しさせて頂きますので気軽にお話に来てください(^^)/
『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』岩本望未