自分の限界を高く見積もりすぎない

こんにちは。札幌市中央区にある『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』の杉野です。

今回のテーマは、「限界を見積もる」。
見積もるといえば、買い物のときに、商品の値段を予想してから実際の値段を見る。
そんなことをして楽しんでいることがあります。
予想は、なかなか、当たらないものですが。

さて、本題の、「自分の限界を高く見積もりすぎない」というお話です。

ついついがんばりすぎてしまう日々

厚い本と眼鏡

世間、職場、家庭など。
それぞれの空気感があると思います。

その中で、
「これくらいはがんばらないといけない」
そんな風に思って、がんばりつづける。
そんなことがあるかもしれません。

そして、無理をしてしまい、つらくなる。
苦しくなる。

その割に、周囲からは、
「がんばっていない」
「甘えている」
そんな風に思われる。

そうなると、さらにつらくなり、苦しくなります。

周囲は、結果で、物事を判断します。
中には、がんばりを見てくれる人もいるかもしれません。

ただ、がんばっているのに、がんばっているように外からみて見えなければ、
「がんばっていない」
そう判断されてしまいます。

そうすると、
「自分はダメなんだ」
「もっとがんばらないと」
そう思って、さらに無理をしてしまいます。

しかし、それでも周りからは認められない。
そういった負のループが続いていくのです。

何が限界かは、人それぞれ

そもそも、人によって何が限界かは、異なります。

体力のある人とない人。
同じだけ運動しても、体力のある人は余裕があります。
体力のない人は、すでに限界かもしれません。

たとえば、職場での環境でも、実は、差がついているかもしれません。
電話ばかりなって、騒音だらけの環境が、気にならない人と気になる人。

気にならない人は、スムーズに仕事ができます。
気になる人は、その音によるストレスだけで、集中力、体力を削られます。

そういった個々の限界が異なる中で、不平等な条件の中で、音が気になる人は、気にならない人と同等の仕事をしなければならないのです。

つまり、周囲の人のがんばりと、自分のがんばりは、全然レベルが違うといえます。
周囲の人が、がんばらなくてもできていることは、自分にとって無理をしないとできないことともいえるのです。

そして、ついつい、自分の限界を高いところに見積もりがちです。
それは、周りは、普通にできているのに、自分はできていない。
その場合、「自分が甘えているからではないか」
そう思ってしまい、限界を厳しく設定しすぎて、無理しすぎてしまうのです。

自分の限界を厳しく見積もりすぎていたと気づくことで、楽になる

座ってノートにメモをしている人

そのため、まずは、
「自分の限界を厳しく見積もっていないか」
それを自分に問いかける必要があります。
たとえ周りと同じような結果が出せていなくても、良いといえます。

「自分は、がんばりすぎていたな」
ここで、成果や結果の出来を考慮して、がんばりを認めなくする必要はありません。

そうでなく、まずは、
自分はがんばっていた
それを自分で認めてあげることを第一とすることで、少し心が救われます

世間、職場、家庭。どうしても、「人間は、皆同じ」
だから、「同じもしくはそれ以上の成果を上げなければならない」
そうでなければ、「それは、甘えだ」
そんな風に、なってしまいがちです。

しかし、そもそも、人間は、皆、異なるのです。
得意なこともあれば、人より数倍の時間がかかることもある。
それが、当たり前といえます

自分の限界を正しく把握することで、自分らしく生きる

無理をしすぎてしまう。
その場合は、皆同じだから、それ位がんばらなければならない。
そう思って、自分の限界を高く見積もる。
そうともいえます。

そうでなく、「自分の限界は、これなのだ」
そういう風に、現実的に見積もる。
そうすると、無理をすることが減っていきます。
また、なんでもがんばる必要もなくなっていきます

そして、それは、自分らしく、心を楽に生きていくことにもつながるといえます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

『カウンセリングこころの羽・札幌中央店』杉野誠